神奇四侠2吉吉影音:通缉急需:日本古代名将名言名句集

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最主要是要有战国时代的名将名言,或者其他朝代的名将名句,也可以是辞世诗,我怎么也找不到,拜托各位帮帮忙

朝仓义景(あさくら よしかげ) 1533~1573

七颠八倒 四十年中 无他无自 四大本空

足利义辉(あしかが よしてる) 1536~1563

五月雨はつゆかなみだか时鸟 わが名をあげよ云の上まで

尼子胜久(あまご かつひさ)  1553~1578

都渡划断す千差の道 南北西本郷に达す

天野隆良(あまの たかよし)    ? ~1551

不来不去、无死无生、今日云晴れて 峰头月明らかなり

伊香贺隆正(いかが たかまさ)   ? ~1555

思いきや千年をかけし山松の 朽ちぬるときを君に见んとは

石川五右卫门(いしかわ ごえもん) ? ~1594

石川や浜の真砂子はつくるとも 世に盗人の种はつくまじ

石田三成(いしだ みつなり)  1560~1600

筑摩江や芦间に灯すかがり火と ともに消えゆく我が身なりけり

上杉谦信(うえすぎ けんしん) 1530~1578

极楽も地狱もともに有明の 月ぞこころにかかる月かな
四十九年一梦の栄 一期栄花一杯の酒

宇喜多秀家(うきた ひでいえ) 1572~1655

み菩萨の种を植えけんこの寺へ みどりの松の一あらぬ限りは

大内晴持(おおうち はるもち) 1524~1543

大内を出にし云の身なれども 出云の浦の藻屑とぞなる

大内义隆(おおうち よしたか) 1507~1551

さかならぬきみのうき名を留めをき 世にうらめしき春のうら波
讨人も讨るゝ人も诸共に 如露亦如电応作如是観

大内义长(おおうち よしなが)   ? ~1557

诱ふとてなにか恨みん时きては 岚のほかに花もこそ散れ

大嶋澄月(おおしま すみつき)   ? ~1565

澄む月の暂し云には隠るとも 己が光は照らさゞらめや

大嶋照屋(おおしま てるいえ)   ? ~1565

仮初めの云隠れとは思へ共 惜しむ习ひそ在明の月

太田隆通(おおた たかみち)    ? ~1551

秋风の至り至らぬ山阴に 残る红叶も散らずやはある

大谷吉継(おおたに よしつぐ)   ? ~1600

契りあれば六つの衢に待てしばし 遅れ先だつことはありとも

冈部隆豊(おかべ たかとよ)    ? ~1551

白露の消えゆく秋の名残とや しばしは残る末の松风

冈谷隆秀(おかや たかひで)    ? ~1551

时有りて自から至り时有りて又还る 清风水を度り明月天に在り

织田信孝(おだ のぶたか)   1558~1583

むかしより主をうつみの野间なれば むくいを待てや羽柴筑前

小幡义実(おばた よしざね)    ? ~1551

宝剣を呑却して名弓を放下す 只斯の景のみ有り一阵の清风

垣并房清(かきなみ ふさきよ)   ? ~1555

胜败の迹を论ずること莫かれ、人我暂时の情、一物不生の地、山寒うして海水清し

蒲生氏郷(がもう うじさと)  1556~1595

限りあれば吹かねど花は散るものを 心みじかき春の山かぜ

蒲生大膳(がもう だいぜん)    ? ~1600

まてしばし我ぞ渉りて三瀬川 浅み深みも君に知らせん

吉川経家(きっかわ つねい? 1547~1581

武夫の取り伝へたる梓弓 かへるやもとの栖なるらん

?#092;川隆像(くろかわ たかかた)   ? ~1551

梦亦是梦、空犹是空、不来不去 端的の中に在り

?#092;田孝高(くろだ よしたか)  1546~1604

おもひおく言の叶なくてつひに行く 道はまよはじなるにまかせて

斎藤道三(さいとう どうさん) 1494~1556

舍ててだにこの世のほかはなき物を いづくかつひのすみかなりけむ

斎藤义龙(さいとう よしたつ) 1527~1561

三十余歳 守护人天 刹那一句 佛祖不传

佐久间盛政(さくま もりまさ) 1554~1583

世の中をめぐりもはてぬ小车は 火宅のかどをいづるなりけり

佐々成政(さっさ なりまさ)  1539~1588

この顷の厄妄想を入れ置きし 鉄袋今破るなり

柴田胜家(しばた かついえ)  1522~1583

夏の夜の梦路はかなきあとの名を 云井にあげよ山ほととぎす

岛津歳久(しまづ としひさ)  1537~1592

晴蓑めかたまのありかを人とは々 いさ白云の上もしられず

岛津义弘(しまづ よしひろ)  1535~1619

春秋の花も红叶もとどまらず 人も空しき関路なりけり

清水宗治(しみず むねはる)  1537~1582

浮き世をば今こそ渡れもののふの 名を高松の苔に残して

少弐政资(しょうに まさすけ) 1441~1497

花ぞ散る思へば风の科ならず 时至りぬる春の夕暮
善しやただみだせる人のとがにあらじ 时至れると思ひけるかな

陶 晴贤(すえ はるかた)   1521~1555

なにを惜しみなにを恨まんもとよりも このありさまの定まれる身に

诹访頼重(すわ よりしげ)   1516~1542

おのづから枯れ果てにけり草の叶の 主あらばこそ又も结ばめ

高桥绍运たかはし じょううん)1548~1586

流れての末の世远く埋もれぬ 名をや岩屋の苔の下水
かばねをば岩屋の苔に埋みてぞ 云ゐの空に名をとゞむべき

武田胜頼(たけだ かつより)  1546~1582

胧なる月もほのかに云かすみ 晴れてゆくへの西の山の端

武田信玄(たけだ しんげん)  1521~1573

大ていは地に任せて肌骨好し 红粉を涂らず自ら风流

立花道雪(たちばな どうせつ) 1513~1585

异方に心ひくなよ豊国の 鉄の弓末に世はなりぬとも

伊达政宗(だて まさむね)   1567~1636

昙りなき心の月を先立てて 浮世の暗を照らしてぞ行く

豊臣秀次(とよとみ ひでつぐ) 1568~1595

月花を心のままに见つくしぬ なにか浮き世に思ひ残さむ

豊臣秀吉(とよとみ ひでよし) 1536~1598

つゆとをちつゆときへにしわかみかな なにわの事もゆめの又ゆめ

长野业盛(ながの なりもり)  1546~1563

春风に梅も桜も散りはてて 名のみ残れる箕轮の山里

二条良豊(にじょう よしとよ) 1536~1551

秋风や真葛原に吹き荒れて 恨みぞ残る云の上まで

祢宜右信(ねぎ みぎのぶ)     ? ~1551

风荒み迹なき露の草の原 散り残る花もいくほどの世ぞ

平冢为広(ひらつか ためひろ)   ? ~1600

名のためにすつる命は惜しからじ つひにとまらぬうき世と思へば

别所友之(べっしょ ともゆき) 1560~1580

命をもおしまざりけり梓弓 すゑの世までも名の残れとて

别所长治(べっしょ ながはる) 1558~1580

今はただ恨みもあらじ诸人の いのちに代はるわが身と思へば

别所治忠(べっしょ はるただ)  ? ~1580

君なくば忧き身の命何かせむ 残りて甲斐の有る世なりとも

北条氏照(ほうじょう うじてる)   ? ~1590

天地の清き中より生れきて もとのすみかにかえるべらなり

北条氏政(ほうじょう うじまさ) 1538~1590

吹くとふく风な恨みそ花の春 もみぢの残る秋あればこそ
雨云のおほへる月も胸の雾も はらたにけりな秋の夕风

细川高国(ほそかわ たかくに) 1484~1531

絵にうつし石を作りし海山を のちの世までも目かれずや见ん

なしといひありと又いふことの叶や 法のまことの心なるらん

三浦义同(みうら よしあつ)    ? ~1516

讨つ者も讨たるる者も土器よ くだけて后はもとの块(つちくれ)

三浦义意(みうら よしおき)    ? ~1516

君が代は千代に八千代もよしやただ うつつのうちの梦のたはぶれ

右田隆次(みぎた たかつぐ)    ? ~1551

末の露本の雫に知るやいかに つひに遅れぬ世の习ひとは

三原绍心(みはら じょうしん)   ? ~1586

うつ太刀のかねのひゞきは久かたの 天津空にも闻えあぐべき

三好长治(みよし ながはる)  1553~1577

三好野の梢の雪と散る花を 长治とやは人のいふらむ

三好义贤(みよし よしかた)  1527~1562

草枯らす霜又今朝の日に消えて 报のほどは终にのがれず

毛利元就(もうり もとなり)  1497~1571

友を得て犹ぞうれしき桜花 昨日にかはるけふの色香は

をしむ夜の月は入ても鹫の山 云よりたかき名やはかくるる

山崎隆方(やまざき たかかた)  ? ~1555

ありと闻きなしと思うも迷いなり 迷いなければ悟りさえなき

冷泉隆豊(れいぜい たかとよ) 1513~1551

みよやたつ云も烟も中空に さそひし风のすえも残らず

お市の方(おいちのかた)  ? ~1583

さらぬだに打ちぬる程も夏の夜の 别れをさそふ郭公(ほととぎす)かな

千 利休(せんの りきゅう) 1522~1591

ひっさぐる我が得具足の一つ太刀 今此时ぞ天に抛つ

细川ガラシャ(ほそかわ がらしゃ) 1563~1600

ちりぬべき时知りてこそ世の中の 花も花なれ人も人なれ